健全な健やかさ
これは人間が生きていくための生き残るための本能に似ていると思います。
人は様々な体験から
思考や知識、信念、価値観、認知というフィルターを通して、
物事を見ます。
ある体験を通して、恥をかいた人はその体験を通して、世界を見ます。
また幼少、理不尽な体験を受けることで
悲しさや、罪の意識というフィルターを通して、
自分の感覚や人間関係にも気をつかうことになるでしょう。
自分自身の本質でもある最も大切なモノ(健全な健やかさ)と全く真逆な生き方をすれば、内なる声(インナーヒーラー)が何らかのシグナルを発することについては何の違和感もありません。
極々、当然の反応が出たものだと・・
内なる声が 日々「限界・・」と発していても、内なる声に耳を傾けず、晴天の霹靂が起こり、初めて身体の異常を知るということは健全な健やかさと明らかに乖離したライフスタイルを送ってきた結果なのでしょう。
のんびりほのぼのタイプ、競争を好まないのに、受験やスパルタ的な部活に身を投じてきた。
元祖、自分のペースで生きたいタイプなのに、気配り上手、人のこころがわかり、気を遣えるようになってしまったこと
・・・ etc
論外ではありますが、夜型タイプなのに大人の都合で朝方の生活を強いられる。
体を動かしたいタイプなのにじっと授業を強いられる・・etc
同じカテゴリーだと思います。
心の不調や病気は 「健全な健やかさ」を取り戻すための手段なんだと 日々強く感じるこの頃です。