第三の目と体の声
体が勝手に認知プロセスをしている途上で
それを狂わせる出来事に遭遇します。
それは周囲と自分のズレ(差異)を感じるということです。
いままで、正しいと思っていた自分の価値が
周囲と比較対象することや世間の常識と対峙したり、傷つけられることで
もろくも意とも簡単に覆されるのです。
特に感じることを優位にしている、直感タイプにそのような傾向が多く見られます。
また「愛着基盤」がしっかりしている人はそれを糧に乗り越えることができやすいのですが、
愛着の土台がしっかりとしていない人は
自分で「自分の価値を否定する」側になってしまいやすいのです。
以前のブログにも、説明しましたが、
決定的な原因は「価値否定」であり、
逆に自分の本質を知り、健全性を維持していければ
おのずと回復するものだと思うのです。
私自身も「感じる」ことの訓練を行うことでさまざまな変化がありました。
以前は「考えすぎる」人を見て、「考えすぎは脳疲労を起こすからよくない」と戒めていましたが、
最近は「考えすぎる」という価値をありのまま受け入れることができるようになりました。
(その人を勇気づけようとかの意図はなく、ありのままに尊重の念を感じるのです)
「考えすぎる」ことが自律神経を乱すという知識は世間一般的な価値観に基づき、その情報が指標だったのです。
でも、自分がありのまま感じることの情報に従えば、見方は180度変わります。
また以前は周囲と比べて、いいか悪いかを判断していましたが、
感じるまま、ありのままの体の声に従うことが容易になりました。
結果、感じるまま、体の声に基づいて行動することで、生きることがシンプルになり、楽になりました。。
目で見る価値観のほとんどは、「真実」ではありません
っと言ってしまうと大袈裟ですが、
逆に世間の事柄のほうが「非常識」だと感じさせられるようにもなっています。
このように「感じる」訓練をしていくことで
自分が中心軸になります。
本来の価値観が主体で
気づきを得るツールにもなるのです。
正直、まだまだ本質を知るところまではいっていないですし、
本質を知ろうとしている途上ですが、
確実に変化を感じております。
次回は「第三の目」についてお伝えする予定です。
感じることを主にすると第三の目が活性化させやすいと云われております。
「第三の目」とは額の上にある、第六チャクラの部分で、
スピチュアルな部分でもありますが、ここが開いている人は第六感が冴えていたり、見えない世界の感覚が鋭い人、
直観力がある人だといわれておいます。
反対にここが閉じている人は
チャレンジできなかったり、環境や周囲の影響を受けやすい
(開きすぎている人は傲慢か独裁者的な権威主義に陥る)