コントロール欲 (支配欲)
こんにちは
名古屋自律神経整体after magoです。
「過剰な防衛本能」で調子を崩している
支配欲=コントロール欲が自分も周囲も苦しめている
方に多々 多々遭遇します。
コントロール欲は誰にでもありますし、
支配欲は生きる術ですので、悪者ではありませんし、
そもそも、「支配欲」とは
そのひとらしさ、人間らしさです。
また一方の見方としては
周囲を苦しめるどころか、自分を苦しめる
カテゴリーにしますと
マイナスエネルギーのひとつだと考えられます。
痛みや症状は自分の領域ではないので
コントロールすることはできませんが、
今引き起こしている症状の原因が
感情や認知だとしたら、
まず、痛みの原因となる「認知や感情」を
どの分野に属するかを自覚して、
今度は
なぜ、そのような認知になったのかを
どこから来ているのかを
紐解いて
思い出し、感じてみることです。
それが 親の呪いからなのか
完璧主義なのは 過去に恥をかいたとか、失敗した体験をしたからなのか とか
自分を犠牲にして、自分を後回しにするというのが当たり前という、認知があったとすれば、
そうなる経緯に至るまでにどんな体験をしたのか、いつからそうなったのか、どんな感情を抱いたのかを感じてみることです。
ということで、今日のテーマは支配欲(コントロール欲)。
状況をコントロールすることは人間の高度な本能
生きていくために 何かを成し遂げるために
自分も周囲にも制御をたて、目標を達成し、状況をスムーズに運ぶためのもの。
それがなければ、社会生活は営めませんし、成功報酬も得られません。
しかし、支配欲が満たされることによる快楽が過剰に働くこと自体、自分や周囲を苦しめていることに気づかない人もほとんどだと思います。
支配欲の強さは先天性のものから人格形成が行われる間、幼少期の時期に遡ると云われとります。
子供の時期に遡るとは
例えば、親に構ってもらうために、親に何かをして、親をコントロールする術だったり、
両親の仲たがい役だったり親を悲しませないようにするため、 「いい子」を演じることでの支配欲だったり、
親への反発、振り向いてほしいがゆえの 非行的支配欲などなど、
ごくごく当たり前の
生きていくための術です。
〇相手や状況をコントロールしたい
「自分の思い通りにいかないとイラっとする」
「他人の不手際やミス、にイライラする」
「曲がったことをする人間や許せなく、怒り心頭する」
「計画したことから、不測なこと、イレギュラーなことがおきるとパニックになる」
「他人を信用できず、大切なことは自分でやらないと不安」
〇支配欲のタイプ
支配したいもの、コントロールしたいものは 大方 3つあると云われております。
① ストイック派 自分をコントロール
当院に訪れる方にとても多いパターン
自分に厳しすぎるがゆえに、体の情報を正しく収集できない、自分の声を無視してしまうケース
「こんなことで休むなんて理由にならない・・」
ウソも方便といいますが、ごまかしができない
「こんなことで弱音を吐いちゃだめだ、リタイヤしたら駄目だ」
敗退者になることへの過剰な罪悪感
無視された声は潜在意識に蓄積され、「これでも気づかないのか」と「気づかないなら もっと強い症状を出してやる」と 追い討ちをかけられます。
「ダイエットや筋トレで過剰な肉体改造を行う」
「頑張りは必ず報われるという神話」
「自分がやっていることを咎められると逆上する」
etc
②相手をコントロール
③状況をコントロール 幻の敵と戦っているタイプ
次に多いのが「状況をコントロールする」です。
将来は何が起こるかわかりません。
未来、何が起こるか起こるかわからないことに対して、最悪の事態を予測することは
実際起こったことと同等のストレスを感じると云われております。
起こるかどうかもわからない事象を自分で「作り上げる」ことで、不測な出来事を回避したいという強い支配欲の現われです。
「イレギュラーな事象にぶつかるとパニックになる」
「常に最悪なことを想定しておく」
「まだ起こっていない事象に対して、無の状態から不安になる」
〇過剰な支配欲は顕在意識の大親分
「自分や周囲、状況を思い通りに動かしたい過剰な欲は顕在意識の領域
顕在意識とは普段私たちが感じている意識で、顕在意識をもとに見て感じたり考えたりしている。
潜在意識とは顕在意識の数百倍の意識(普段私たちが感じることのできない領域)
いやスケールを顕在意識が人間で、潜在意識が宇宙だと喩える場合もある
これは忘れてしまったこと、見たくないこと、感じたくないこと、蓋をしていたいこと、本当にしたいこと、本当に望んでいることの領域です。
私たちが普段見ている、感じている、考えている、評価している領域は表面的なごく一部で、本質ではないとされています。
過剰なコントロール欲とは自分や周囲を自分のちっぽけな枠で評価しているだけであって
自分や周囲はもっと強く大きな存在であり、
自分のちっぽけな顕在意識の笊では収まるものではないものです。